丹波亀山鉄炮隊について
「丹波亀山」はどこか?
⇒京都府亀岡市です。
伊勢(三重県)亀山ではありません。
京都市の西隣の「亀岡市(人口約9万)」は明智光秀が丹波進攻(1575~6)の拠点とし、亀山と名付けました。慶長15年(1610)初代亀山藩主岡部長盛のとき天下普請で城が完成、五層五重の天守閣も出来ました。
江戸時代は徳川親藩の藩主が続き片原松平家で明治を迎え、三重亀山と混同するのを避け「亀岡」と改名され、今日に至っています。「丹波」は京都府、兵庫県にまたがる大変広い地域で、最近地名に「丹波」の名称を付ける取り合いがあります。
丹波亀山鉄炮隊設立の経過
江戸時代中期に成立したとみられる「明智軍記」には「明智光秀鉄砲誉れの事」が記され、北に向かって二十五間、一尺四方の的たて百の鉛玉を打ち入れ、黒星に当る数六十八、残る三十二も的角に当ると百発百中の名手ぶりが書かれています。
丹波亀山鉄炮隊の親団体である亀岡手づくり甲冑の会は、亀岡市が明智光秀公を城主とする城下町であり、光秀公を偲ぶ「亀岡光秀まつり」は自作の甲冑を着て市民パワーを爆発させよう!と、2008年(平成20年)に結成されました。原点はまち興しにあります。
甲冑の会有志は光秀公の火縄銃を発信力にしようと、旧丹波亀山藩(現亀岡市)は徳川家直系の形原松平家であり稲富流砲術が武術の主流であったことを古文書で知り、この稲富流砲術を現代に復活して体得し、後世に伝えていこうと決意し、島根県松江市の松江城鉄砲隊が稲富流砲術の武術を伝承されていると聞き及び、10数回にわたる指導を頂くなかで、その武術を体得したところです。
そのような経過を踏まえ2014年(平成26年)丹波亀山鉄炮隊が結成され古式火縄銃の技術と伝承に努め、光秀公と亀岡との関わりを広めるため、京都府唯一の古式鉄砲隊として活動を続け伝統継承に努めてきました。
このたび令和2年のNHK大河ドラマに光秀公が「麒麟がくる」として取り上げられたことは、本隊の最大の喜びであり励みになり、今後一層の古式砲術流儀保存、継承に努めてまいります。